人生が変わる瞬間

1月 4, 2019コラム

決めれば変わる。人生が変わる瞬間。

本気で変わろうと思ったから人生が変わり始める。変わらないのは変えようと思っていないだけ。

みなさま、明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。お陰様で、晴れやかな新年を迎えることができました。
昨年は、僕にとって変化の大きい年でした。そして、様々な出会いと成長の機会を頂きました。改めて、僕を支えてくれた家族と応援して下さった仕事仲間、友人たちに感謝申し上げます。


振り返れば、昨年(2018年)の年越しは年末からの家庭不和を引きずり、暗やみの中から1年が始まりました。そして、その境遇をきっかけに人生を変えようと決意しまして、新しいことに挑戦することができました。今思えば、この境遇はgiftだと思っています。東京都から三重県に移住して、東芝の四日市工場で3年間勤務する中で、自分が感じていた不満や違和感が蓄積されていきました。しかし、変わりたいと思っても生き方を変えず、ある日誰かが変えてくれると思っていたのでしょうか。18年勤めた東芝から退職する決心は容易ではありません。きっとそんな自分のために、神様が歯車をずらしたことで、2018年の境遇を招いたのだと確信しています。また、神様からのgiftを受け取り、変わるきっかけを与える役を引き受けてくれた妻には、心から感謝しています。

行動することで運命が切り開く

2017/12/24のブログに楓プログラミングスタジオを起業すること(*)、人生を変えることの決心を書き込み、活動を始めました。不思議なものであり、心を決めると道が開きます。また、人との出会いを大切にすると、別な人がチャンスを運んできてくれます。
(*)最後までお読みいただくと分かりますが、結果起業には至りませんでした…


カルチャーセンターから飛び出して、自分の力だけで教室をオープンしてみました。最初にやったことは、WordPressでウェブを立ち上げたこと、名刺を作ること、三重県・愛知県で活動されている経営者やフリーランスの方と出会い人脈を作ること、ブログやFacebookで発信することでした。
全てが初めての経験でした。一つ目の壁は、経営者になり切ることです。"代表"と印刷された名刺を配るからには、会社員ではなく、(心構えから)経営者になり切ろうと。そして、弥富の教室との出会いが活動を加速させてくれました。教室を開く、場所と時期が決まりました。プログラミング教室を始めるにあたって最も良かったこと、それは一年間桑名市のカルチャーセンターで週末にプログラミングを教えていたことでした。その実績が僕の安心につながりました。(カルチャーセンターでプログラミング教室を開校する後押しになった本は、以下のブログを参照ください)

 
自分で教室を開くため、価格設定やプロモーションをどうするか悩みました。先ずは関心を持ち、話を聞いてもらうこと。次に、お金を払ってでも習おうと思わなければ成立しません。そのためには、保護者にITやプログラミングが今後必要だと思う共感が得られるか、お金や時間をかけてまで習う必要があるのか、どうなりたいか(子どもにどうなって欲しいか)がイメージできないといけないと考えました。
ウェブやリーフレットを作りました。タウン誌に広告を載せたり、チラシのポスティングもしてみました。名古屋、津島、弥富、桑名で体験会もやってみました。ウェブのSEO対策やFacebook, Youtube, Twitterなど試行錯誤しながらチャレンジしました。本業もあったため時間の制約が大きかったこと、本業の収入で生活していたため覚悟が不足していたことでマーケティングに関する結果は中途半端でしたが、“まずやってみる"、"すぐやってみる"を大切にして、良いと思ったことを実践しました。
やってみて分かったことは、(僕自身のマーケティングの力は置いておいて)すでに時代の流れで、TVの情報番組や雑誌、インターネットなどでITやプログラミングの必要性は発信されていることからある一定のニーズはできており、どの地域にも関心を持っている保護者・子どもが居ること。もちろん、興味がある、やってみたい!!のようなポジティブな関心の高さと、時代に取り残されないようにキャッチアップしようといった危機意識の高さの2パターンがあります。そういった関心の高い保護者・子どもに届けば、高い確率で習いたいとなります。(体験した結果、やっぱりやりたい、親がやらせたい、興味あったけどちょっと難しいなど受け手のパターンはいくつかあります)
そして、ウェブのSEOやFacebook広告などを使うことで一部の関心の高い人に届けることができます。ただし、地方の場合、都市部と異なり関心の高い人の絶対数が少ないため、反応は微々たるものです。カルチャーセンターであれば、定期的な新聞の折込チラシや隣接するイオンにチラシを置くなどプロモーションも有効であり、地方では意外と良い手段だと思います。最も効果的なのは、楓プログラミングスタジオのブログにも書いた長野県松本市のプログラミング教室のイベントのように自治体が関わるケースであり、自治体の広報や学校から告知は予想以上の集客力があることに驚きました。
 

本当は何がやりたいのかに気付く

未知の挑戦は、スタートラインを超えるまでは色々と不安になりますが、いざスタートを切ったら走り続けるだけ。躊躇している暇はありません。
しかし、ビジネスというものは始めるのは簡単ですが、継続すること、安定して収益を得ることは難しいもの。十分な戦略も必要です。
自分で始める教室には、当然企業のネームバリューやカルチャーセンターのサポートはなく、待っていても生徒は増えません。自分で顧客を獲得することの難しさやこんなやり方で良いのだろうか?不安や迷いに苦しみました。
また、プログラミング教室はレンタルスペースで行うため開業資金が少なくても良いビジネスモデルです。しかし、固定費は少ないとはいえ、サラリーマンであれば安定して得られる給与を失うことで、どうやって生活していくのかと金銭的なプレッシャーも大きかったです。この点は、事業計画を作り、具体的な数字で表しながら、桑名市の中小企業診断士の方に相談しました。漠然としていた不安が整理され、今後の見通しが具体的になりました。現状がクリアになったことで、ビジネスが軌道に乗るまでの資金が足りないこと、見積もりが甘いことが浮き彫りになりました。
実は、2018年の5月までは、こう考えていました。「先ず会社を辞めよう。なんとかなる!」 会社で課長、部長に退職の意思を伝えると、間もなく、三重県で活動されているフリーランスの方や桑名市の中小企業診断士の方と出会いアドバイス頂くことに。その結果、自分の計画の甘さに気付く!!「やばい。このままじゃ生活できなくなる…。」 退社の時期をシフトして、戦略を練ることに。(きっと冷静になれ?、計算しろ!!、気付け!!と、自分のためにフリーランスや中小企業診断士の方と出会ったのだと思います)
そして、行動する → 悩むを繰り返す中で気づいたんです。「自分がやりたい仕事は、プログラミング教室ではない!?」かもしれない。
子どもにプログラミングを教えたい。しかし、プログラミング教室の利益を収入の柱にするのって違うかも。プログラミング教育を訴求して、生徒を獲得することが楽しくないなと感じました。複数の教室を管理して、何十人も生徒を増やすことを想像すると、苦しくなりました。「僕がやりたいことは、プログラミングの先生かもしれないが、プログラミング教室の経営ではない。」
行動したからこそ、本当は何がやりたいのか?に気付くことができました。

「喜んで働くこと」、「成功すること」、これを両立させる

僕がこの1年間の活動で得たことは、「すぐに行動することで、人生が好転することを実感できたこと」です。行動すること、悩むこと、このくり返しで、やりたいことが具体化しました。
先ずはスモールスタート。行動することで気付きが得られ、本当にやりたいことに近づけていく。
そして、僕のやりたいことは、「喜んで働くこと」、「成功すること」、これを両立させることです。
子どもは大人の背中を見て育ちます。大人が仕事の愚痴ばかりで、仕事に喜びがない。それでは、子どもは夢を描けないと思うんです。
現代において、僕を含め多くの人の働き方が3G(義務、我慢、犠牲)であることは、理解しています。しかし、大人だって夢を持っていいし、自分の好きなことでお金を稼ぎたい。もう妥協したくないんです。
僕がITエンジニアとして成功することで、この国の若者や子ども達の希望につながると信じています。そして、もっと大人たちがワクワクと働いて欲しいんです。

最後に

行動することで人生が変わる。自分の力で、人生が変えられるということを自ら証明したい。この記事を読んだ人全員に、実感してもらいたい。
以下は、2016年の夏に描いたドリームマップです。その時自分が描いた夢の1つがプログラミング教室であり、自分でも新たな発見に驚きました。当時、プログラミング教室で、子ども達にテクノロジーの楽しさと、希望を持ってもらうこと。そして、世界から孤独なエンジニアが居なくなること、最後にテクノロジーで三重県と世界をつなぐこと、この夢を描いていました。
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変わりたかったら"今すぐ"行動しよう。2016年の秋には、カルチャーセンターでプログラミング教室を始めていました。そして、「仕事と思うな、人生と思え!」のメッセージが降って来て、2018年10月で、2000年4月から19年働いた東芝を退職しました。2018年11月からは、自分が得意とするITインフラのスキルを活かして、名古屋の「クラウドインテグレーター」の仕事に転職しました。週末は、規模ややり方は変わるかもしれませんが、子ども向けのプログラミング教室を継続します。1年間色々と悩み活動した結果が、起業には至りませんでしたが、自分で道を作り、歩き出すことができました。
まだ道半ばであり、結果はでていませんが、これからの働き方にワクワクしています!
以上、「人生が変わる瞬間」をお読みいただき、ありがとうございました。

コラム

Posted by takaaki